貧困から戦争への道

 昨年末、日本では大量の失業者が住居を失い、いまだに倒産する中小企業の件数は増え続けている。勤勉で物づくりに優れていた日本の製造業はいつからこんなに脆弱になってしまったんだろう。贅沢な生活を望んでいるわけではなく、真面目にこつこつと働いてきた人たちが最低限の生活を送れないような状態に転げ落ちてしまうのは個人の責任とはどうしても思えない。発端はアメリカの「サブプライムローン」からであった。

 今回は堤未果氏の「ルポ 貧困大国アメリカ」の内容をご紹介することで考えていただければと思います。

「サブプライムローン」とは、社会的信用度の低い層向けの住宅ローンである。その利率は一般のプライム(優良顧客)と比べ非常に高く、最初の二、三年は利子が低いがその期間を過ぎると急激に一〇〜一五%に跳ね上がる。アメリカの住宅ブームが勢いを失い始めた時、業者が新たに目をつけたターゲットは国内に増え続けている低所得者層だった。自己破産歴を持つ者やクレジットカードが作れない彼らでも住宅ローンを組めるという触れこみで顧客をつかむやり方だった。

移民であり、クレジットカードを持ったことがないマリオのところに金融機関の若い男が来たのは二〇〇四年のことだった。男は自分は弱者の見方だと言っていた。そして「住宅価格は上がり続けるから」払えなくなったら安い金利ローンへの借り換えができるという話をした。マリオにとって住宅を手に入れるという夢のような話である。機械工であるマリオの月収は貧困ラインぎりぎりだったが、何故かそれはまったく問題にならず、すぐに五〇万ドル(五五〇〇万円)の融資が下りた。しかしマリオと妻と三人の息子がフルタイムで働いても収入のほとんどは返済に回り生活は苦しくなる一方だった。英語でびっしりと書かれた契約書はメキシコ人のマリオにはよくわからず、男の言う言葉を信じてサインしたのが間違いだった。二〇〇六年以降「住宅価格は上がり続ける」という神話は崩れ、後には膨大な借金だけが残った。「サブプライムローン」の問題は単なる金融の話ではなく、過激な市場原理が経済的「弱者」を食いものにした「貧困ビジネス」であったことだ。「まるでハゲタカです。最近入ってきた移民たちにはクレジットカード利用歴もなく、ヒスパニック系の家族の三五%はそもそも銀行口座すら持っていません。こういう人たちの個人情報が金融機関に出回っているんです。それを見ながら地図上に印をつければ「カモ」の分布地図ができあがる。金融機関の営業マンたちはそれを見てピンポイントで勧誘に回るというわけです。」

貧困が生み出す肥満国民

 アメリカの中流家庭といえば、郊外の庭付き一戸建てにネクタイを締めたサラリーマンの夫。広いキッチンで手作りマフィンを焼く妻の周りには可愛らしい子どもたちが走り回るといったものだったと思う。しかし福祉重視政策だったニクソン大統領と対照的に、第四〇代ロナルド・レーガン大統領は効率重視の市場主義を基盤にした政策を次々に打ち出し、アメリカ社会を大きく変えていった。安価な海外の労働力に負けた国内の製造業はみるみる力を失った。労働者たちは続々と失業者となり、中流層が貧困層に転がり落ち、国内の所得格差が急激にひろがっていった。

急激に増えた貧困児童に対しては「無料ー割引給食プログラム」というものがあるが、これが子どもたちの健康を著しく悪化させた。給食のメニューによくあるのは「マカロニ&チーズ」。ゆでたマカロニに、ミルク、バター、チーズをこってりと混ぜたもので、スーパーに行くと一箱三ドルで売られている。これがおかずで、パンにピーナッツ・バターとジャムをぬったものが主食である。「家が貧しいと、毎日の食事が安くて調理の簡単なジャンクフードやファーストフード、揚げ物中心になるのです。多くの生徒の家庭が食糧配給切符(貧困ライン以下の家庭に配布される食糧交換クーポン、フードスタンプ)に頼っていますからこの傾向はますます強くなります。」学校側は少ない予算の中でやりくりしようとするため、人件費を削り、メニューはどうしても安価でカロリーが高く、調理の簡単なインスタント食品、ジャンクフードになってしまう。

学校給食という巨大マーケットを狙うファーストフード・チェーンも少なくない。政府の援助予算削減にともない、全額無料では提供しきれずにマクドナルドやピザハットなどの大手ファーストフード・チェーン企業と契約する学校も増えている。バーガーキングやドミノピザ、ウェンディーズなど日本でも名前の知られた企業も学校給食という巨大市場を開拓しようとしている。

「落ちこぼれゼロ法」という名の裏口徴兵政策

 二〇〇二年春。ブッシュ政権は新しい教育改革法「落ちこぼれゼロ法」を打ち出した。

 全国一斉学力テストを義務化し、学力テストの結果については教師および学校側に責任を問うものとしたのだ。良い成績を出した学校にはボーナスが出るが、悪い成績を出した学校はしかるべき処置を受けた。たとえば教師は降格か免職、学校の助成金は削減または全額カットで廃校になる。競争システムがサービスの質を上げ、学力の向上が国力につながるという論理だ。でも、この法律の本当の目的は別のところにあったと言われている。

「個人情報」である。落ちこぼれゼロ法は表向きは教育改革だが、内容を読むとさりげなくこんな一項がある。全米のすべての高校は生徒の個人情報を軍のリクルートに提出すること、もし拒否したら助成金をカットすると。裕福な生徒が通う高校はもちろん個人情報など出さない。だが、貧しい地域の高校や州からの助成金だけで運営しているところは選択肢がないため、やむなく生徒の個人情報を提出することになる。米軍はこの膨大な高校生のリストをさらにふるいにかけて、なるべく貧しく将来の見通しが暗い生徒たちのリストに作り直す。そして、七週間の営業研修を受けた軍のリクルーターたちがリストにある生徒たちの携帯に電話をかけて直接勧誘をする仕組みだ。

 若者たちの入隊理由の八〜九割は大学の「学費免除」である。「政府はちゃんとわかっているんです。貧しい地域の高校生たちがどれほど大学に行きたがっているかを。そしてまた、そういう子達の親たちに選択肢がないこともね。」息子さんの夢を親であるあなたが叶えてやれないなら軍が代わりに実現しようと持ちかけられ、契約書にサインする親は多い(本人が一八歳未満の場合は親の承諾書があれば入隊契約が成立する)。

 学費免除に次いで多い入隊理由は「医療保険」である。二〇〇七年一月の時点でアメリカ国内で医療保険に加入していない国民は四七〇〇万人いるが、特に貧困地域の高校生たちはほとんどが家族そろって無保険のため、入隊すれば本人も家族も兵士用の病院で治療が受けられるという条件非常に魅力的になる。高校卒業と同時に入隊し、イラクのバクーバという町に駐屯したマックスは帰国後倦怠感や不眠症、嘔吐などの症状を近くの軍病院に訴えた。しかし診察の予約が取れるのは一○か月後だと言う。ブッシュ政権が予算を年間一億ドルずつ削減したためである。仕方なく民間の病院にいくと、白血病と診断された。民間の病院で治療を受けることは経済的に不可能なため、マックスはさらに体調が悪化し寝たきりの生活を余儀なくされている。

堤未果さんの「貧困大国アメリカ」のほんの一部だけを紹介する形になってしまったが、アメリカのあとを追う日本といわれるだけに海の向こうの話と言っていられないような内容であった。今の日本の現状とあまりにも似ている部分もあり恐ろしくもなる。「教育」や「いのち」や「暮らし」という人間の根幹にかかわるものが「民営化」され市場論理ですすめられた時、国民の生活やいのちがどれほど脅かされるかがよくわかる。マスコミにふりまわされず、子どもたちが本当に安心して暮らせる日本に私たちがしていかないといけないと痛感した。